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2025/3 老年精神医学雑誌Vol.36 No.3
認知症診療の25 年を振り返り,未来を展望する
和田健二
川崎医科大学認知症学

 1999 年,アセチルコリンエステラーゼ阻害薬であるアリセプト®がア ルツハイマー型認知症の症状改善薬として保険適応となったことを契機 に,日本における認知症薬物治療の新時代が幕を開けた.その後,2011  年に同じくアセチルコリンエステラーゼ阻害薬2 種類(レミニール®, イクセロンパッチ®/ リバスタッチパッチ®)やNMDA 受容体拮抗薬(メ マリー®)が登場し,治療選択肢が増えた.そして現在では,新たな症 状改善薬(アリドネパッチ®),アミロイドβ に対する抗体医薬(レケン ビ®,ケサンラ®)やアルツハイマー型認知症のアジテーションに対する 抗精神病薬(レキサルティ®)が次々と保険適応となり,治療の幅が大 きく広がっている.

 私自身,これまでに2010 年版および2017 年版の2 度の「認知症疾患 診療ガイドライン」改訂に携わり,現在は3 度目の改訂にあたる作業に おいてガイドライン作成委員会委員長を務めさせていただいている.こ の機会に,わが国の「認知症診療ガイドライン」の歩みを振り返りつつ, 現在進行中の改訂作業の中間報告をさせていただくこととした.

 2002 年,中村重信先生を作成委員長として日本神経学会が中心とな り『痴呆疾患治療ガイドライン2002』(原文まま使用)が作成された. 当時,認知症治療薬としてはアリセプト®のみが保険適応されていたが, 非薬物的介入,向精神薬や合併症管理などを含めた広範な内容を含む画 期的なものであった.その後,2008 年に改訂が決定し,中島健二先生 を委員長として,日本神経学会,日本精神神経学会,日本認知症学会, 日本老年精神医学会,日本老年医学会,日本神経治療学会の認知症関連 6 学会の共同作業で『認知症疾患治療ガイドライン2010』が作成された. Clinical Question(CQ)形式を採用した全面的な改訂となったが,各種 認知症に加えて軽度認知障害(MCI)や認知症予防の記載が初めて加え られた.保険適応されていない検査や症状改善薬についても国内外のエ ビデンスを総合的に取り入れて記載された.公開翌年の2011 年には,3  つの新たな症状改善薬が保険承認されたため,若干の新たな知見も加えて2012 年に 『認知症疾患治療ガイドライン2010 コンパクト版2012』 を発刊した.そのなかでアルツハイマー型認知症の病期別の治療薬剤の 選択アルゴリズムが新たに加わった.2014 年になり,ガイドライン改 訂が決定され,引き続き中島健二先生が委員長を務められ関連6 学会の 枠組みで『認知症疾患診療ガイドライン2017』が作成された.2017 年 版では,新たな治療薬の登場はなかったが,将来の症状改善薬の登場を 見据え,バイオマーカーやアミロイドPET などの記載が拡充された. その他にも,診断後支援の記載が強化され,認知症や認知機能障害を伴 う内科的疾患や正常圧水頭症など,幅広いテーマが盛り込まれた.2020  年には英語版“Clinical Practice Guideline for Dementia 2017”が公開さ れ,国際的にも利用可能なガイドラインとして位置づけられた.

 2022 年7 月ガイドライン改訂が承認され,これまでと同様に関連6  学会の共同作業で行うこととなり,各学会から選出された作成委員会が 組織された.現在,日本医療機能評価機構EBM普及推進事業(Minds) の『Minds 診療ガイドライン作成マニュアル2020 ver.3.0』に準拠し, 改訂を進めている.課題となっていた定量的システマティック・レビ ューを実施する体制を整備し,システマティック・レビューを行い,推 奨決定会議の投票を経て,推奨および推奨の強さを推奨文として記載す るCQ を限定した.新たな試みとして,診療や治療の現状をステートメ ントして記載するBackground Question(BQ)や,将来の研究課題を提 示するFuture Research Question(FRQ)を導入した.FRQ では,新た なエビデンス創出が期待されるテーマを提示し,今後の診療改善に向け た道筋を示している.2015 年以降の論文を中心に文献を検索し,とく に新しい診断法や治療法について,患者だけではなくその家族や医療提 供者にとっても有益な内容となるよう努めている.認知症診療は,医療 技術の進化だけではなく,患者やその家族への支援を含む社会全体での 取組みが求められる領域である.治療にとどまらず,診断後の支援など 広範な領域をカバーし,認知症診療の全体像を反映したガイドラインを 目指している.

 改訂作業の過程でパブリックコメントを広く募集し,多様な意見を反 映することで,より実践的で有用なガイドラインを作成する計画である.

 最後に,改訂作業にかかわるすべての方々に感謝の意を表するととも に,今後も認知症診療のさらなる発展に向けて尽力していく所存である.



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2025/2 老年精神医学雑誌Vol.36 No.2
アルツハイマー病治療の新時代―― 精緻な診断に至るconservatism ――
眞鍋雄太
神奈川歯科大学歯学部臨床先端医学系認知症医科学分野 認知症・高齢者総合内科

 1999 年のアリセプト®上市が鏑矢となり,認知症疾患診療は脳循環代 謝改善薬,抗精神病薬とベンゾジアゼピン系薬剤一辺倒の治療から,コ リンエステラーゼ阻害薬を中心に据えた,evidence に裏づけられた治 療へとシフトした.また,同剤の診療科属性を問わない処方の簡便さは 認知症疾患診療の閾を下げ,国民の保健衛生に大きく貢献することにも なった.一方で,同剤の処方のしやすさが認知症疾患といえばコリンエ ステラーゼ阻害薬といった潮流を生み出し,薬剤の価値を貶めてしまっ た負の側面も忘れてはならない.こうしたなか,2023 年末,抗アミロ イドβ 抗体薬レケンビ®が翹望のうちに上市され,アルツハイマー病 (AD)の診療シーンに第2 のparadigm shift が訪れることになった.

 おおいに期待され,患者の福音となりうるだろう抗体治療薬.コリン エステラーゼ阻害薬と同じ轍を踏まないためにも,私たち専門医には精 緻な診断,しっかりと適応を見極める姿勢が求められるのではないだろ うか.そこで思うのが,認知症疾患の診断に臨む姿勢である.どのよう に患者を見て,観て,診るのか.

 恩師である小阪憲司先生は,初診患者の診察には2 時間近くの時間を かけて丁寧に診察なされていた.不肖の弟子が先生の診療の域に達する ことはいうまでもなく不可能であるが,少しでも小阪先生に近づきたい 筆者が診断において心がけていることが1 つある.それは,問診および 視聴打触という診察の基本を守り,AD を否定する姿勢で患者に臨むと いう態度である.限られた診察時間のなかで効率よく情報を得るため, 問診票やREM 睡眠行動障害(RBD)スクリーニング問診票,Patient  Assessment of Constipation Quality of Life といった自己記入式ツールを 最大限に活用しながら,RBD や慢性便秘,嗅覚障害,高齢者てんかん に気を配る.問診では,問診票をただなぞるのではなく,患者との会話 を通じて課題への目的志向性の応答が可能か否か前頭葉機能の発動や意 識明晰度の確認を行い,発語および発声の要素的問題(prosody 障害や anarthria,錯誤など)の有無をチェックする.診察室に入室するまでの 患者の姿勢や歩行を積極的に観察することで,stooped posture や後方 荷重位といった所見の有無,歩隔や歩幅の減少を含む歩行の性状を評価 する.デジタルパイオニア,ミレニアル世代の先生方は古臭いと嗤うか もしれないが,旧きものにこそ真実が宿る.打腱器,ルレット知覚計を 用いた基本的な神経学的診察を一通り行うだけで,初診患者の鑑別診断 におけるproblem list はかなり整理されるというのが,筆者の実感であ り,信念である.

 そのうえで,神経心理学検査(MMSE,HDS-R,MoCA-J)の結果を 確認し,適宜FAB やレーヴン色彩マトリックス検査等を追加して認知 機能障害のパターンを評価.“もの忘れ”を主訴としているが,実際は 記憶のドメインにみる機能低下以上にworking memory や思考速度や柔 軟性といった前頭葉機能の低下を“もの忘れ”と感じているのではない か,神経心理学的背景を検討する.発語および発声の要素的問題があれ ば,標準失語症検査も評価すべきだろう.また,問診票の嗅覚に関する 質問ボックスにチェックがあればT & T オルファクトメーターによる 嗅覚検査を,RBD や睡眠時無呼吸症候群の疑いがあれば簡易型ポリソ ムノグラフィー検査をルーチンの画像検査(MRI および脳血流シンチグ ラフィー)に付け加える.こうして得られた所見からレビー小体病が疑 われるのであれば,さらにMIBG 心筋シンチグラフィーや 123I-ioflupan SPECT,終夜ポリソムノグラフィーを適宜追加してさらなる鑑別診断 を行う.たしかに臨床診断を下すまでに多少の時間は要するが,かけた 時間の分,患者に還元される対価も大きいと信じる.また,精緻な診断 のためにはそれなりのコストも伴うが,その結果,無意味な投薬が回避 され,合理的な病態のマネジメントや介護につながるわけで,翻ってみ れば社会保障費の抑制にも貢献できるものと考える.

 社会保障費といえば,AD の新規治療薬である.私たち医療者は,公 の一員といった観点からも診療に臨まなければならない.個への貢献が, 個の総体である公への貢献につながる医療を考えたとき,抗アミロイド β 抗体薬の導入には,より精緻なAD 診断という姿勢が求められるので はないだろうか.文頭の話題に戻るが,薬剤の価値を貶めず,必要とす る患者に的確に治療を提供するためにも,やはりAD を否定する姿勢で 診療に臨むことが肝要と確信する.

 そろそろ筆を擱く段になり,2 剤目の抗アミロイドβ 抗体薬ケサン ラ®の上市という吉報に接した.武器が増えた分,AD continuum と標的 アミロイドβ の性状(protofibril なのかplaque なのか)を考慮した, 個々の患者に応じた両剤の使い分けが必要だな,と思いを致した次第で ある.閑話休題.

  巻頭言を閉めるにあたり,Sherlock Holmes のセリフを紹介したい. “When you have eliminated the impossible, whatever remains, however  improbable, must be the truth.”

何と正鵠を射たセリフではないか.この言葉を錦旗に,AD 診療の新 時代に臨みたい.



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2025/1 老年精神医学雑誌Vol.36 No.1
認知症のある人の権利擁護
大石 智
北里大学医学部精神科学

 2024 年1 月1 日に認知症基本法が施行された.啓発イベントの講演 テーマに認知症基本法や権利擁護という言葉を目にする機会が増えた. 法律というと堅苦しい印象を抱きやすいが,認知症基本法は認知症のあ る人が安心して生活することのできる社会の創造に欠かせない.認知症 基本法が啓発活動等を通してわかりやすく解説され,だれにとってもな じみのある存在になったとしたら素敵なことのように思う.

 認知症基本法第三条一項には「全ての認知症の人が,基本的人権を享 有する個人として,自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むこ とができるようにすること」と,その基本理念が記されている.この条 項を繰り返し読んでいると,日頃のケアで思うようにいかない記憶から 離れ,豊かな未来を想像し温かな気持ちになる.だがそんな思いも束の 間,権利擁護とはほど遠い現実があることに気づく.

 認知症ケアチームとともに一般病棟を訪れると,退院先の調整が本人 不在のまま進められていることがある.有料老人ホームやグループホー ムを訪れると,複雑な手順でスイッチを押さなければ作動しないエレ ベーターに出会うことがある.入所の際に「長期出張の間だけここにい てほしい」と嘘を理由に何年も入所させられ,「家に帰りたい」と言え ば「帰宅願望」とレッテルを貼られ,向精神薬による鎮静を図られそう になっている人に出会うことがある.こうして住む場所を選ぶ自由が奪 われやすい現実にふれると,ケアをする人のなかに「認知症のある人に 説明しても理解できないにちがいない」「嘘を伝えても忘れてしまうに ちがいない」「家に帰りたいというのは認知症の症状」という,認知症 へのスティグマがあることに気づく.そして認知症のある人を閉じ込め ようとする背景を考えていると,認知症のある人が外に出てしまうと安 全,安心を確保することがむずかしい,認知症フレンドリーとはほど遠 い現実があることにあらためて気づく

 他の人のことを批判してばかりもいられない.診察の際,どんなに手 を尽くしても本人が望まない入院や入所に舵を切らざるを得ない時,本 人への説明を十分にできていない後味の悪さを感じることがある.行動 や心の変化の理由を考え尽くし工夫をしても,その改善を得られない時, 向精神薬を処方せざるを得ない時があるが,服用してもらうことを優先 しようと,薬の有効性,副作用について十分な説明を省略しようとして いる自分に気づくことがある.こうしたことが生じるのは,「認知症の ある人に説明しても理解してもらえないにちがいない」という,私のな かに今もまだ認知症へのスティグマがあることに気づき,私は私自身に 落胆する.

 認知症のある人の権利擁護を理念にもつ法が施行されたことは喜ばし いことである.だが理念が実現する道のりはまだ始まったばかりだ.理 念が実現されるためには人と社会にある認知症へのスティグマが低減さ れなくてはならない.そのためには老年精神医学徒である私自身が,今 も自分のなかにあるスティグマに自覚的になり,それを弱めるための取 組みをしなくてはならない.

 認知症へのスティグマを弱めるためには,人の認識に影響する言葉に 着目したい.オーストラリア,イングランド,スコットランド,アイル ランド,カナダ,シンガポール,EU には,認知症について表現する時 に避けたい言葉,望ましい言葉について解説した手引きがある.そこに は,正確で,尊敬の念を内包し,専門用語を避け,だれにでもわかるあ りふれた言葉を用いることが望ましいと記されている.専門用語や略語 はわかったような気にさせてくれる心地よさがあるが,認知症,認知症 のある人々について,私はまだわからないことだらけだ.わからないこ とだらけなことを自覚することは,謙虚さを取り戻し,認知症のある人 に教えてもらおうとする態度をもたらす.学んだ専門用語を手放し,だ れにでもわかる言葉で考え,診療録を記すことにはこうした効能がある. 認知症へのスティグマを弱めるためには,ケアの場所以外で生き生きと 暮らしている認知症のある人と接する機会をもつことも重要だ.診療の 場を出て認知症のある人と接することは,ケアの質を損なう権威勾配を 弱める.そして,ケアの場所では見ることのできない認知症のある人の ストレングスに気づくことのできる貴重な機会になる.

 講義や依頼された原稿で言葉について語っても,同僚や身近なケアす る人たちに指摘することは控えめにしている.口にした言葉を批判され てよい気持ちはしないだろうし,傷つく人もいる.だから認知症を表現 する言葉への着目は私の個人的なスティグマ低減活動にとどまりやすい. だがそれによって私の態度や用いる言葉が望ましいものになったのなら, まわりにいる人にもよい影響が生まれるかもしれない.それは小さいけ れども,認知症のある人の権利擁護のための風土をつくるきっかけにな るのかもしれない.



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